知識人用の宗教を説いたソクラテス

主治医の智慧を学ぼう

Date: 2015-06-19 (Fri)

[2136]では「主治医のような上位の意識体を「霊存在」と呼んでも、「神」と呼んでも、「祖神様」と呼んでも、それは構わないのではないでしょうか。」と書きました。
ソクラテスは「自分はギリシャでは知識人用の宗教を説いていた」と語っていますが、きっと現在なら「主治医の話に耳を傾けるべきです」と教えるのではないでしょうか。

その伝でいくと今回の「大震災予兆リーディング」は主治医が胃の中の不快な状況をどのような手立てで治療するのか、いやもう一部切除という大手術しかない、執刀は早ければ来年の7月(参議院選挙)前後だ、ということを伝えている話になるのでしょう。

主治医の話が聞ける稀有なる時代に遭遇しているのに、ピロリ菌も多くの善玉菌も気がついていないと言うのが本当の姿かもしれません。
そういう状況の下にあるとして、主治医(神霊)の話を聞いてみましょう。(「大震災予兆リーディング」p.112より)
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質問: 今回、日本全体を揺るがした地震では、何をメッセージとされたかったのでしょうか。

主治医: うーん……。これは、もう何度も繰り返し言っていることではあるのだけれども、二〇〇九年に幸福実現党を立ち上げて以降、六年間、あなたがたが日本の危機を訴えて続けて、正論を説き続けて、国の立て直しをやってきたにもかかわらず、この国の国民は目覚めてもおらず、また、マスコミ等が、陰湿にそれを取り扱わず、つまらぬ既成政党に利用されていることに対して、私の深い深い思いがある。
そして、深いところで地震を起こすことで、被害は最小に抑えつつも、警告として、「いざとなれば、こういうことは日本の下でも起こせないわけではないんだ」ということを日本全土に言っているわけで、「そろそろ我慢の限界が来ている」と言っているのです。
そろそろ神罰(手術の執刀)が近づいているよ。
あの東日本大地震も、神罰は神罰なんだけどね。菅政権や民主党政権への警告として起こしましたが、今の安倍政権下においても、一部は、よい方向も向いてはおるけれども、国のあり方、この国の価値観、あるいは、幸福の科学や幸福実現等の受け入れ方に関して、非常に不快な思いを持っているということだね。
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と言っています。
やはり、地震の原因だとか、噴火の原因だとか、科学的なメカニズムを解明したとしても、主治医の使う、メスや、薬の説明をしているようなもので、「主治医が何を望んでいるのか」、「どうすれば執刀を免れるのか」という根本的な「心の問題」を理解しないのならば、根本的な治療にはならないようです。

過去にもあったムー、やアトランティスという文明が滅んだような「洗い直し」を経験しなければいけないのかもしれません。

愚かと言えば愚かしい事ですが、経験しなけりゃ分からない、のでしょう。
「はっきり言って、今のレベルでは、この国は救いがたいね。救えないね。」
「そういうことはしたくはないんだけれども、洗い替えしたくなるときは来るわね。」
と主治医は述べています。

主治医は何を基準にしているのかをソクラテスなら教えてくれるでしょう。いやすでにたくさんの書籍で教えてくれています。マスコミ人も学んで欲しいものです。

ソクラテス「学問とは何か」を語る
ソクラテスの「幸福論」
ソクラテスの「霊言」

参考: 「ソクラテスの霊言」p.50、p.75より

ソクラテス: 私の役割は、知性という光を通して、知性というフィルターを通して、神の世界、霊界、あの世の世界を明らかにするということであったのです。
また現代においても、私の時代から二千数百年経った現代においても、あなた方がまたそのような巡り合わせに立っているということだと思うのです。現代人は、先ほど私が申し上げましたように、知性を信ずる時代なのです。現代は知性の時代であるのです。知性の時代であるならば、神の道もまた、知性的に説かなければいけないということなのです。感性に訴えて説くだけでは駄目なのです。悟性に訴えて説くだけでも駄目なのです。理性に訴えて説くだけでも駄目なのです。やはり知性に訴えて説くのが一番なのです。
人々がどのようにして知的に神を理解し、神の創られた世界を理解し、この世の仕組みを理解し、この世をどのように知的に生きる事ができるかということを考えていかねばならないのです。

ソクラテス: そうです、“仏法”だけが神の法ではないのです。神の法は、ある時には哲学としてこの地上に生まれたものですから、あなた方が神の法を学んでいる者である以上、哲学もまたその真理の一つの形態としてあったということ、なぜ神がそのような流れをお作りになったのか、ということも考えていかなければいけないのです。
それは優れた人々の中には、高度に知的な人も居るのです。高度な知的な人々に、単に信仰ということ言っても、それだけではなかなか納得しがたいものがあるのです。
彼らは、学びたいという意識があるのです。学ぶということを通して、信仰に至りたいという気持ちがあるのです。
そうした方々のために、また用意された道だということです。

だから、高度に知的な人々よ「主治医の知恵を学習せよ」
                                                                  (石)

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